「もののあはれ」について
「もののあはれ」という概念は、周知の通り江戸時代の国文学者、本居宣長によって提唱されたもので、物語の本質を説き明かすのに用いた概念である。
またこの用語をよく、『源氏物語』にだけ用いられた概念であると考えがちであるが、これはなにも『源氏物語』にだけ用いられるものではなく、広く和歌・物語から、おそらくは『枕草子』のような随筆までをも含めて、平安時代の文学に共通して用いられた理念・概念であるということを忘れてはいけない。
このことを踏まえて、ここでは『源氏物語』に使われている場合について簡単に説明をする。
大方の人々は、「もののあはれ」とは、文学理念―美的な概念、つまり客観的対象物の美醜をいうときの美的概念であると考えがちである。
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本来は、人間の意識の持ち方のある場合に使われるもので、倫理的美しさをも含めて、人間的なよさを評価するときに使われている概念である。
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人間の魂の根底から発せられる、やむにやまれぬ感動が「もののあはれ」であり、それは理性的な論理、たとえば儒教や仏教などの道理では律しきれない魂の感動である。
『源氏物語』の光源氏と藤壺の恋が、不義悪行であると知りつつも、そこに心を動かさざるをえないところに「もののあはれ」の典型が見られる。そして、そのような「もののあはれ」を知る人間を描いてみせているところに、『源氏物語』の本質があるのである。
この宣長の論は、『源氏物語』の見方を、儒教や仏教の思想的な呪縛から解き放って、物語文学としての固有の意義を論じた、ほとんど最初の物語論として重要な意義がある。