<巻名>
源氏が須磨から明石に移ったことによる。和歌にも数首、「あかし」が詠み込まれている。

<本文>
なほ雨風やまず、かみ鳴り静まらで日頃になりぬ。いとどものわびしき事数しらず、来し方行く先悲しき御有様に、心強うしもえ思しなさず、「いかにせまし。かかりとて都に帰らむことも、まだ世に許されもなくては、人笑はれなる事こそ増さらめ。なほこれより深き山を求めてや跡たえなまし」と、思すにも、「波風に騒がれて、など、人の言ひ伝へむこと、のちの世までいと軽々しき名をや流しはてむ」と思し乱る。御夢にも、ただ同じさまなる物のみ来つつ、まつはし聞ゆ、と見給ふ。雲間もなくて明け暮るる日数に添へて、京の方もいとどおぼつかなく、「かくながら身をはふらかしつるにや」と、心細う思せど、かしらさし出づべくもあらぬ空の乱れに、出で立ち参る人もなし。
<現代語訳>
やはり雨も風もやまず、雷も静まらないままに、数日たった。ひとしお辛く思うことは数限りもなく、今までもこれからも悲しいお身の上ゆえ、お心も挫けてしまい、「いったいどうしたものだろう。こうだと言って、都に帰るとしたら、まだお許しも出ていないのではいっそう物笑いになるばかりであろうし、やはりここよりもっと深い山を探して、身を隠してしまおうか」とお思いになるが、それも、「波風に恐れをなして、などと噂されるとなれば、後の世までも身分にふさわしからぬ振る舞いと笑われてしまおう」と、お迷いになる。お夢にも、最初御覧になった同じ姿の者が現れては、つきまつわる。雨雲の晴れ間もなく明け暮れる日数と共に、京の消息も途絶え、「このまま朽ち果てるのであろうか」と心細くお思いになるが、頭を出す事もできないこの大荒れでは、お見舞いにやって来る者もない。
<評>