◎ 善光寺へ参籠する ◎
文永8年(1271年)春、信濃の善光寺へ参籠し、念仏者が極楽浄土へ往生する
ことを願う。
「二河白道の図」 を描き、これを本尊としたのです。
右写真:一遍聖絵 第1巻第3段1 の図です。
次号は 「 岩屋の霊窟 」 を掲載する予定です。 乞うご期待 !
一遍上人
延応元年(1239年)伊予国(愛媛県)久米郡の豪族、別府通広(出家して如仏)の
第2子として生まれる。 幼名は松寿丸。 生まれたのは愛媛県松山市道後温泉の
奥谷である宝厳寺の一角といわれ、元弘4年(1334年)に同族得能通綱によって
「 一遍上人御誕生舊跡 」 の石碑が建てられている。
時宗の開祖。 「 一遍 」 は房号で、法諱は 「 智真 」 。 一は一如、遍は遍満、
一遍とは「一にして、しかも遍く(あまねく)」の義であり、南無阿弥陀仏を一遍
(一度)唱えるだけで悟りが証されるという教義であり、智は 「悟りの智慧」、
真は 「御仏が示す真」 を表す。
「 一遍上人 」 、「 遊行上人 」 、「 捨聖 」 と尊称される。
(以上、資料より抜粋)
右写真 : 一遍上人像 (紙本墨画淡彩) です。