都めぐり (1)

本能寺


都巡礼 の最初としは、少々相応しくありませんが、 「 本能寺 」 を取り上げました。
京の都に相応しい宿 ” 俵屋旅館 ” (私たちが宿泊) から歩いて3分ほどの 寺町アーケド街の一隅に 本能寺 はありました。

右写真 : 現在の 「 本能寺山門 」 です。 (背景にはビルが建ち並んでいます)


◎ 本能寺 ◎

「 本能寺 」 は、頼山陽が日本外史の中で ” 敵は本能寺にあり ” と記述したのを はじめ、狂言、 浄瑠璃、 歌舞伎、 小説、 映画、 演劇、 それにアニメなどまで、 「 本能寺の変 」 で語りつがれている有名な日蓮宗の寺院です。

1582年6月21日、備中高松城包囲中の羽柴秀吉を救援しようとしていた織田信長に対して、 先発させた家臣明智光秀が、謀反を起こして丹波亀山城から引き返し、京都の本能寺に 宿泊していた信長を襲撃した事変が ” 本能寺の変 ” です。
寝込みを襲われて包囲された信長は、脱出を諦めて自害しました。
この事変が、戦国時代の代表的な下克上の1つとなっています。
また、現在の本能寺は1587年に豊臣秀吉によって都市計画による区画整理を名目に 直線距離で1.2kmほど離れた場所(現在の中京区寺町御池下る)に移動させられたそうです。

右写真の唐銅香炉 「 三足の蛙 」( 本能寺宝物館蔵)は、本能寺の変の前夜、信長に危険 を知らせるかのごとく突然なきはじめたと伝えられています。


◎ 本能寺跡 ◎

「 本能寺跡 」 は、街並みの中にこれと言った目印もなくひっそりとあります。
ここには本能寺小学校がありましたが、現在は特別養護老人ホーム、京都市立堀川高等学校、、 消防分署などが建てられています。
本能寺跡の所在については、元本能寺町の町名などから旧京都市立本能小学校付近と推定 されていました。 1992年に小学校の廃校後に行われた発掘調査により、織田信長 の定宿だった当時の本能寺遺構が発見されて話題を呼びました。
現在では、石碑が建立されている北側の一帯で、南は蛸薬師通、北は三条通、東は西洞院通、 西は油小路に囲まれた区域とする説が有力視され、寺の大きさも東西約100m、南北約200mの 規模を有していたものと考えられています。

右写真 : 観光タクシー車窓からの 「 本能寺跡 」 の記念碑です。


あの有名な 「 本能寺 」 ですが、今では京都の街なかにひっそりとその姿を留めて いました。
修学旅行の学生は見かけましたが、6月頃には金閣寺や清水寺のように観光客で賑わう ことでしょう。  じっくり観光するには、今の季節をお勧めします。
もっとも京都市内にあるお寺が約1600ヶ所、神社が約400ヶ所と言われ約2000の神社仏閣 が存在するのですから当然かもしれませんね ?


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