1937年 4月第一次近衛文麿内閣
が成立した翌々月 6月私は誕生
しました。
そして、7月には蘆溝橋で日中両軍が衝突し、8年間にわたる日中全面戦争が
勃発しました。
そんな訳で、1937年の事柄が、ついつい目に留まります。
◎ 大野麥風 ◎
大野麥風は ” 魚の画家 ” と云われ、さまざまな魚類を描いて輝きを放った
異色の画家です。
1888年東京に生まれ、関西では至って地味な画家でした。
淡路島に転居してから、釣りを愛好し、パラオやサイパン、琉球への写生旅行
にも出かけて、魚への興味を募らせました。
その情熱が、一世一代の仕事と成って開花し、
1937年 から44年まで続いた木版画集 「 大日本魚類画集 」
となりました。
その1ページを飾る 「 飛魚 」 は、胸びれを羽ばたかせて海上を飛ぶ魚の姿態
を、ストップモーションのように描きだしています。 背景の海は、どこか
浮世絵ゆずりの様式美を感じさせています。
日本中が戦争に突き進む時代に、水族館だけでなく、潜水艇に乗り込むほど
魚の姿に魅入られた男でした。
右写真 : うろこひとつほとつまでリアルに描かれた 「 飛魚 」 です。
◎ トータリゼータ ◎
発売された馬券を瞬時に集計し表数とオッズを導き出して発表するシステム
を 「 トータリゼータ 」 (競馬オッズ板) と称するそうです。
機械式を含めて100年の歴史があります。世界初といわれる 「 トータリ
ゼータ 」 は1913年、オーストラリアで生まれました。
日本の 「 トータリゼータ 」 の歴史は、創業間もない 富士通信機製造
(現富士通)が日本競馬会の依頼で共同研究を始めた
1937年にさかのぼります。
戦後は、リレー式と呼ばれる技術を応用した装置が開発され、その成功が
後押しなって、1966年、販売窓口から馬券集計までを全面機械化した画期的
な 「 トータリゼータ 」 が国内で初めて導入されました。
これは600台以上の端末を9台の小型コンピュータで制御する複合計算機方式
よる世界でも類を見ない大型システムでした。
右写真 : 100年前のオッズ掲示板に群がる人々です。
毎日の新聞も ただ漠然と見ている(?)だけでなく、何かをいつも求めて
記事の内容を読むことが、後期高齢者には必要かつ大切なことであると
思います。
そこに思わぬキーワードが出現すのですね。
「 1937年の事柄 」