藤沢御殿 と 市民病院


お世話になった恩返しとしてボランティアをしている 「 藤沢市民病院 」 の 玄関先に咲く桜も見事に 開花し始めました。

「 藤沢 」 の地名は、鎌倉時代に、 遊行寺 が開かれた時から歴史上に登場 しました。
江戸時代の慶長5年、徳川家康によって東海道五十三次の 「 藤沢宿 」 として 整備されました。

右写真 : 藤沢市民病院の桜です。 (3月24日)


◎ 藤沢御殿 ◎

現在、建替え工事中の 「 藤沢市民病院 」 の完成予想図が、病院前バス停 に 大きく掲示されています。
市民病院周辺にあった 「 藤沢御殿 」 の歴史も同時に掲示されています。
ボランティアとして通う道路に面した一帯に、慶長元年頃 「 藤沢御殿 」といわ れる将軍専用の 宿泊・休憩施設 が設置されていたことが分かりました。

東海道 (現国道1号線) より約100mほど入った所にあり、深さ4.5mの堀と5.5m の土手に囲まれた約3120坪の敷地がありました。
南東の角に将軍の 御座所 がありました。 南側に 表門 、東側に 裏門 があり、 表門から東海道まで長さ109m、道幅6mの 御殿通り が通じていました。
また、表門の西側には 御番所、 東側には 陣屋 と 馬屋 があり門を守って いました。
寛永11年以降は、参勤交代の大名や、公用役人の宿泊施設として、 本陣 や 脇本陣 などが整備されたそうです。

右写真 : 今から174年前に描かれた 藤沢宿 と 藤沢御殿 の絵図です。


現在も 御殿辺公園、 陣屋橋、 御殿橋、 陣屋小路、 などの名称が残って います。
初代将軍 徳川家康、 二代秀忠、 三代家光、 が通った 「 御殿通り 」 を ボランティアとして通う 私の姿も 乙なもの でしょうか ?


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