私は貝になりたい


学生時代、郷里の映画館で、フランキー堺 主演の 「 私は貝になりたい 」 を思い出し、 半世紀を経たあの感動を再び ・ ・ ・ !
11月22日午前11時、市内の映画館に封切初日 初公開の リメイク版 「 私は貝になりたい 」 を観に 行きました。

この物語は、1958年(昭和33年)のテレビ(TBS)放映をスタートに、私の観た1958年(昭和34年)の映画化や 1994年(平成6年)のテレビ(TBS) リメイク版などがあるそうです。
また、今年(平成20年)8月24日には 『 真実の手記 BC級戦犯 私は貝になりたい 』 ( 主演:中村獅童 ) として、日本テレビで放映されました。


◎ 私は貝になりたい(1) ◎

平成20年 (2008年) 新作 「 私は貝になりたい 」

ものがたり :
豊松の家族に、四つの 「 いやな運命 」が ・ ・ ・ ・ ・

@清水豊松(中居正広)は理髪店を開業し、 家族は妻の房江(仲間由紀恵)と一人息子の健一。 決して豊かではありませんがなんとか暮らしています。
戦争が激しさを増し、豊松にも 「 赤紙 」 (召集令状)が届きます。

A配属されたのは外地でなく、 本土防衛の為編成された中部軍の部隊でした。そこで思いもよらない過酷な命令 ( 山中に墜落 したB29搭乗の捕虜兵の虐待命令 ) を受けます。

B玉音放送とともに終戦。やっとの思いで家族のもとに戻り、二人目の子供を授かったことを知 り、平和な生活が戻ってきたかに思えました。
しかし、突然やって来たMPに、従軍中の事件の戦犯として逮捕されてしまいます。

C「自分は無罪だ!」と主張する豊松。だが、占領軍による裁判では、旧日本軍での上官命令が いかに絶対であったか判事には理解してもらえず、絞首刑の判決が下ります。
無実を主張する豊松は、アメリカ大統領に向けて減刑の嘆願を始めます。
房江は来る日も来る日も必死の思いで嘆願書の署名を集めます。
ただ、豊松の帰ってくる日を信じて・・・。

しかし、豊松は13階段を登って行きます ・ ・ ・。


1シーンで 「 こんな いやな時代 に、 なぜこんな いやな事 をやらなければならないのか ! 」 と叫ぶ声が 今も耳から離れません。 まさに、旧日本兵の悲劇が胸に迫る映画でした。

右写真 : 「 家族へ、帰りたい。 」 と素晴らしい演技を見せた 清水 豊松 役の 中居正広 さんです。


◎ 私は貝になりたい(2) ◎

昭和33年(1958年)に 「 私は貝になりたい 」 ( 豊松役 : フランキー・堺 、 房江役 : 桜むつ子 ) がラジオ東京テレビ (現 TBS) で初公開された年の出来事は ?
 01月01日  国連安保理非常任理事国に就任。
 01月31日  米、人工衛星エクスプローラ1号打ち上げ成功。
 03月09日  世界初の海底道路、関門トンネル開通。
 05月30日  BC級戦犯18人、巣鴨拘置所を仮出所。 拘置所も閉鎖。
 06月12日  第2次岸内閣成立。
 08月22日  米英、条件付で核実験1年停止。
 10月31日  東京放送、「私は貝になりたい」を放映。
 11月01日  国鉄、ビジネス特急「こだま」東京―神戸間で運転開始。
 12月01日  聖徳太子の1万円札発行。
 12月23日  東京タワー(333m)完成。

60年安保を迎える2年前、私は ” のほほん ” と学生時代を過ごしていました。
クラスメイトたちは 勉学に、社会問題に、真剣に取り組んでいる時代であったように記憶しています。
あの頃、 橋本 忍さんの 「 私は貝になりたい 」 は公開されていたのですね。
当時、我が家にはテレビも無く、残念ながら この作品を観る機会もありませんでした。

右写真 : 58年テレビ制作の 「 私は貝になりたい 」 のタイトル画面です。


◎ 私は貝になりたい(3) ◎

芸術祭賞を受賞したテレビ・ドラマを、その時のシナリオも書いた橋本忍が映画化した 第一回監督作品 ( 昭和34年 1959年 東宝映画 ) でした。
豊松はテレビの同じフランキー・堺さん、そして房江は新珠三千代さんが演じていました。

戦時中、上官の命令で捕虜を殺害した罪で、戦後の裁判て絞首刑を宣告されるという、 一兵卒に降り注ぐ理不尽な悲劇がドラマの中心でした。
豊松は唇をかみしめながら、一歩一歩13階段を昇っていきます。

--もう人間なんていやだ。
こんなひどい目に会わされる人間なんて……深い深い海の底の貝だったら……
戦争もない、兵隊もない。房江や健一のことを心配することもない。
どうしても生れ変らねばならないのなら……私は貝になりたい--

という言葉を振り絞り吐き出すようように残して、この残酷な社会から姿を消しました。


私が 「 私は貝になりたい 」 を観たのはこの映画が初めてでした。
今でもはっきり印象に残っているシーンは、( P ) というアルファベットが 豊松の背中に重く圧し 掛かりながら、 「 ……私は貝になりたい-- 」 と叫んでいる姿です。

右写真 : 戦争の理不尽さを背負い13階段を登る豊松の姿です。 合掌 !


◎ 私は貝になりたい(4) ◎

戦後の平和論争を揺るがしたテレビ史上最大の話題作「私は貝になりたい」(昭和33年) のリメイク版として、平成6年(1994年)に放送されました。
主な出演者
所ジョージ、田中美佐子、長沼達矢、三木のり平、津川雅彦、ほか

衝撃のラストシーンで見せる俳優・所ジョージの迫真の演技は必見だ ! 
と評された 所さんらしい演技を 私は観ることが出来ず残念でした。

右写真:94年テレビ版の豊松(所ジョージ)、房江(田中美佐子)と健一(長沼達矢)です。


現在も 依然として世界各地で悲惨な紛争状態が、繰り返されています。
民族問題、宗教問題、政治問題、など 当事者間でないと理解出来ないことですが、 私たちは この大切な地球に住む人類として平和な住み良い地球になるよう 心を一つにして まいりましょう !
        私たちの子孫のためにも !


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